血管探索記

腫瘍や血管の病気のこと、日々に出会ったものから連想する科学、旅行記、コラムなどを記します。

ワニの謎

ワニと言えば、通常、クロコダイルかアリゲーターを指し、それらは日本には棲息していない(はず)。しかし、日本にも「鰐」という文字があり、これを「ワニ」と読む。古代日本語で「鰐」は、今で言う鮫のことを指した。現代では、爬虫類のワニを漢字で書くとき「鰐」を当てて良いことになっている。

 

因幡の白ウサギで、兎が隠岐から本州へ渡るのに利用したのは、古事記などでは「和邇」と書かれており、これが鰐という字に代わったようだ。山陰地方では鮫のことをいまでも、鰐と呼ぶ。

 

つまり日本では鰐と書いた場合、時代によって意味が違う。古代なら鮫、現代なら、爬虫類のワニである。

ワニの恩返しに登場するワニはラコステブランドだから、鮫ではなく、正真正銘の爬虫類である。多分どこか外国からやってきたに違いない。
Wikiによればフランスだ。

f:id:drmasa:20150919164424p:plain

さびしい

寂しい
淋しい
さびしい
さみしい

あなたは使い分けていますか?

公用表現、そして常用漢字では「さびしい(寂しい)」を使いますが、「淋しい」も誤用ではありません。あえていえば、漢字の成り立ちから考えると、「寂しい」には「あるはずのものが、あるべきところにないさま」、「淋しい」には「先の見えないこころぼそさ」というニュアンスがあると言われています。前者は、I miss you. で、後者は、I feel lonely. のように、私には思えます。

でも、どちらの気持ちにも同時にとらわれることがありますから、その時はひらがなで書くのがいいでしょう。

では「さみしい」は、どういう時にしっくりくるのでしょうか?正解はありませんが、僕は、口語なのだろうと思います。寒い、と響きが近いことも関係あるかもしれませんね。

別れ際、恋人が放つ言葉は「さみしい」であり、ほかのどれもが、違う気がします。

「寂しい」の対義語(反対語)は、「賑やか」と、されていますが、それは一部の意味を選んで、さかさまにしたにすぎません。さびしさを紛らわすために、賑やかな振る舞いをしてみても虚しくなるだけなのは、あなたも経験したことがあるはずです。国語辞典も完璧ではありません。

さびしさをほんとうに消し去るには「あるべきものがあるべきところに、永くあると確信できる気持ち」が、必要です。それを一言で表す言葉は、日本語には見つけられません。

だからこそ、大切な人にさびしさを感じさせないためには、言葉だけでは無力なのです。揺るぎない信頼を得るための「行動」が必要です。行動は希望を、希望は信頼をもたらし、さびしさを消し去っていきます。

あなたは明日、誰かがさびしくないように、どんな行動をとりますか?

f:id:drmasa:20150913045151j:image

サイジング(メジャーメント)

大動脈瘤をステントグラフトで治療するためには、完全に瘤と血流を遮断することが必要です。そのためには、瘤の入り口(心臓側)と出口(末梢側)に、少しずつ余裕を持たせてグラフトを置かなければなりません。これをシーリングゾーンといいます。そうしないと血流がグラフトの隙間から瘤内へ流れ込んでしまい、治療したことにならないからです。これを「エンドリーク(内部漏洩)」と呼びます。

 

ところが、エンドリークを恐れるあまり、瘤から上下に出すグラフトを長くしすぎると、今度は塞いではいけない大切な枝、主に腎動脈と内腸骨動脈(骨盤内臓器を養う血管)を塞いでしまうことになりかねません。あるいは太さが合わずに、グラフトが血管壁から浮いてしまったりすることになります。

 

こうしたことは、術中に考えながらやっていたのでは対応出来るはずがなく、事前に撮影したCTの画像から、遅くとも手技前日までには、三次元構築した画像を使って、どの組み合わせでステントグラフトをどう入れるか、全て周到に計画するのです。これを、サイジングと呼んでいます。

 

もちろん、ぴったりしたサイズのステントグラフトを考えておいても、実際に手術が始まると、その場の変化(例えばCTの画像から考えていたよりもやや形が変化した時など)に応じて、サイズを変えなくてはならないことも起こり得ます。そうしたことまで予測して、グラフトはやや多めの種類を準備しておくのが普通なのです。

サイジングは大動脈ステントグラフト治療における基本中の基本、つまり、いろはのい、ということになりますね。

f:id:drmasa:20150919165448j:plain

プロバンスの結婚式 最終回

翌日、僕の宿泊するホテルに集合した5人は海へと出かけた。せっかく地中海まで来たのだから海水浴をしなければ。

ホテルのプライベートビーチへ行き、夕方まで巨大な砂の楼閣を作り、泳ぎ、そして昨夜のことを思い出しながら青空を見上げた。海の水はまだ冷たかったが、濁りなく澄んだ水と自由に泳ぐ魚たちにみとれていたら、そんなことはあまり気にならなかった。

f:id:drmasa:20150907134601j:plain

画像引用『フリー写真素材ぱくたそhttps://www.pakutaso.com


ふと目を上げると、サーファーがサーフボードと一緒に空を飛んでいる。僕は見たことがなかったので、ものすごくびっくりしたが、ほかの仲間は驚かない。これはカイトボードというスポーツで、もとはヨットの救助用に開発され、1998年頃欧米において競技としての地位を確立した。日本には1999年に初めて導入されたというのだから、同年からドイツに来てしまった僕が知るはずはなかった。


海水浴の後は別れが待っていた。

皆、欧州各地に帰っていく。

 

しかし、中身の濃い時間を共に過ごしたからか、さほど寂しくはなかった。むしろ次の出会いが楽しみだと思えたほどである。

 

ドイツ語学校で邂逅した5人の絆は、この南仏プロバンスで過ごした時間によってさらに強いものとなった。僕にとって、ここで見聞きしたことはかけがえのない思い出であり、人生の中でひときわ明るく輝いている。

 

 

 

 

drmasa.hatenablog.com

drmasa.hatenablog.com

drmasa.hatenablog.com

drmasa.hatenablog.com

drmasa.hatenablog.com

drmasa.hatenablog.com