血管探索記

腫瘍や血管の病気のこと、日々に出会ったものから連想する科学、旅行記、コラムなどを記します。

横浜は特別な場所

4月第三週の木曜から日曜まで、僕ら放射線科医にとって、年に一度の大規模な学会が開催される。巨大過ぎて、もはやここパシフィコ横浜でしか開催できなくなっている。

 

ラジエーションハウスというドラマがまあまあの滑り出しのようだが、この学会はまさにその画像診断の学会である。(本職の放射線診断医からみると、いまのところラジエーションハウスは、相当非現実的であり、見ていて落ち着かない。)

 

 

左上の写真で低層階にあるのが会議センター(高層階は高級ホテル:皆、ここに泊まって学会中に自室でくつろぐことを夢見ているが、宿泊代が高すぎて、本当にそうできる医師はわずかである)。

 

隣接する観覧車を見ると、ふらふら遊びに行きたくなるし、行ったことも何回かある。反対側には東京湾も広がっており、開放的な空間があるのだが、学会となれば、ここに凄い人数が集まる。医師、技師そして医学物理士など、放射線医学に関わる全ての病院関係者と言って良い。


飛行機の尾翼が並んでいるような景色は、画像診断機器の本物が所狭しと並べられ、商談が繰り広げられる展示会場である。今年の流行りは人工知能(AI)であった。まだ難しく、理解する人工知能が欲しかった…

 

ところで、今年の宿は、馬車道(ばしゃみち)にした。

 

 

ここは、パシフィコ横浜のベッドタウン、つまりビジネスホテルがたくさんある。でも、いつも小綺麗で、historicalな風情を失わない。街灯、ベンチそしてペーブメントにも工夫が凝らされている。

 

近くに馴染みのバー"Slow"があるけれど、今回の学会は多忙で、顔を出せなかったのが悔やまれる。

一期一会

一期一会という言葉がある。

 

このIT社会、ジェット機で地球の裏側まで、スペースシャトルで宇宙ステーションにまでいける社会では、もう死語になっただろうか?

 

ニルスのふしぎな旅に登場する、「呪いを受け百年に一度、一時間だけ姿を現す港町ビネタ」は、その一時間の間に、ビネタ人ではない誰かが何か一つでも買い物をしてくれなければ、また百年、海の底に沈んでゆく運命だ… 

この町が目の前に現れる少し前に、浜辺で小さな銅貨を拾ったが、自分には何の価値も無いからと捨ててしまったニルスには、期限までに買い物をしてあげることができず、あと一歩というところで、ビネタは深海へと消えて行った。

 

すぐそこにあるものに手が届かないことがある。一度手放したら二度と手にすることの出来ないものがある。

 

人はきっと、互いに必然性をもって出会う。それを意味あるものにするには、漠然と生きているのでは不十分だ。

 

自らが幸せになるために生き、誰かの幸せを願うために生きる。

 

そうでなければ、日々あなたの手のひらから、大切なものが、まるで海辺の砂のようにさらさらと、流れ落ちては消えて行く。

 

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ゆりのき

昨夜は高校のクラス会で遅くなり、とある街の東横インに泊まった。朝、駅まで歩いているとき、ふと街路樹がユリノキであることに気づいた。

モクレンの仲間で、花はユリというよりチューリップに似ている。北米原産で英語ではチューリップツリーと言うらしい。

今時分は、花の時期がもう終わり、青々とした葉が勢いを増している。
この葉の形が、僕は好きだ。

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日本では、この形を「半纏(はんてん)」に見立てて、この木を半纏木と呼ぶ (ユリノキは学名を直訳しているだけだ)。もし、いたずらして「め」と入れれば火消め組のはっぴにもなる。

最初の種(たね)は、明治8年ごろ渡来した。そこから育った日本で最も古いユリノキが、東博(東京国立博物館)の玄関前にある。

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梅雨が明け、真夏になったら、大きなこのユリノキの木陰で汗を拭きたい。そう思う。

風が巻く道

仕事に疲れたとき、この空を眺めにこの場所に来る。

ここは地下の搬入口。地上と地下をつなぐ細い抜け道。行き場を失って巻いている風は、そこで立ちつくす人の耳元でささやく。

私はどっちに吹けばいいの、あなたはどっちに吹きたいの、と。

未練を残す初夏の太陽と、冬を切り抜けて再び緑と自信にあふれたユリノキが、少しの間対話する。

明日はどんな風が吹き、空はどんな色をするのだろう。

やがて夜の帳が降りるまで、ただ眺めていたい空である。

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