以前、パンドラの箱に入っていた女神Elpis(エルピス)について書いた。
エルピスは希望の神である。では希望(hope)とは何であろうか。おそらく皆一人一人違う考えを持っているだろう。そもそも「希望」が人間にとって良いものなのかどうかすらも疑問視する立場がある。
だってパンドラの箱に入っていたのだから。
他の数知れぬ禍悪と同列のもので、人間を苦しめるだけのものかもしれない、そう考えるのも一つの可能性ではある。この場合の定義は、こうなるのだろう。
「希望とは果されぬ約束である」
しかし、心理学ではもっと主体的に捉えている。心理学での定義はこうだ。
希望とは「行動によって何かを実現しようとする気持ち」である。( 玄田有史『希望のつくり方』岩波新書, 2010年)
漠然と思うのではなく、行動によって実現しようとする、というところは、僕らが普段使っている「希望」という言葉より一段高いものに感じる。希望とは行動なのだ。少なくとも、行動をイメージすることが希望なのだ。
時折、自らの思いを行動にかえるのが素早かったり、躊躇無く動いたりする人に出会い、僕はそれをとても美しいと感じる。希望を分けてもらっているような気がするからだ。
無茶な行動には気をつけるとしても、エルピスが「果たされぬ約束」で人間を苦しめようとしているのなら、人間は行動という主体性でそれに立ち向かわなくてはならない。