血管探索記

腫瘍や血管の病気のこと、日々に出会ったものから連想する科学、旅行記、コラムなどを記します。

本質を喩える

「ダイヤモンドダストが消えぬまに」という松任谷由実の歌がある。

クリスマスを二人で迎えた恋人を描写しているのに、舞台はマリンダイビング。初めて聞いたときは意味がわからなかった。しかし、ダイヤモンドダストというのはシュノーケルから海面に向かって上昇していく無数の泡を喩えていることがやがてわかる。季節は夏、でも南半球だからクリスマスなのだ。

 

喩えというのは素敵なもの。ぴったりと場面や気持ちの本質を突くことが出来れば、本物そのままを描くより心に響くから。

 

喩えとは、ちょっと違うが「隠された答え」というのも僕は好きだ。槇原敬之の歌に「二つの願い」というのがある。主人公は彼女との恋で破局を迎えようとしているが、心の準備が整わない。今日は雨模様だが出かけたい。だから二つの願いを掛ける。「雨がやみますように、電話が来ますように」と。

でも彼女によれば「二つの願いは一つしかかなわない」のだという。

歌詞にはずっと、この恋に未練がある主人公の心情が綴られる。だからリスナーの心も「(彼女からの)電話が来て欲しい」という気持ちでいっぱいになる。だが、最後の一節は、あっけなくも簡単にこう歌われる。

 

「着替えをしてドアを開けたら、雲間に日が差してた」

 

これは「雨がやみますように」という願いがかなった、つまり「電話は来ない」ことを意味する答えだが、「雨がやんでいた」と直接言うよりずっと心に響く。

 

人の心とは、少し距離を置いた表現に、どうやらとても弱いらしい。

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