血管探索記

腫瘍や血管の病気のこと、日々に出会ったものから連想する科学、旅行記、コラムなどを記します。

プロバンスの結婚式④

前回↓

drmasa.hatenablog.com

 

役場、教会、そしてガーデンパーティと続いてきた式次第に参加していた人々は、午後になると皆、帰って行った。そこで新婦のご両親がこう仰った。

「ではこれからお昼寝をしましょう。好きな場所で寝て下さいね。」

 

なかなか初めて訪れたお宅のリビングで昼寝をすることは難しい、と思ったのは間違いだった。朝からの疲れで、皆あっというまにすーすーすーと寝息を立て始めた。もちろん僕も例外ではない。女性はソファで、男子は床に寝っ転がって寝てしまった。

ビバプロバンス!

 

目が覚めるとダイニングの食卓にはお茶の用意がしてあり、ここがフランスらしいところなのだが、幾種類ものチーズが並べてあった。そこでご両親と僕たち五人組が談笑した。昼寝の後にチーズ。所変われば品変わる、とはこのことか。

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画像引用『フリー写真素材ぱくたそhttps://www.pakutaso.com

 

さあ、それから皆身なりを整え、車に分乗して少し離れたレストランに向かった。夜7時頃だっただろうか。それからが正式な結婚披露宴の始まりであった。この披露宴、日本のものとは較べようもないものだった。恐るべきことに、僕らがレストランから出てきたのは翌朝4時過ぎだったからである。

その様子、次回にご紹介しよう。

 

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地図はモンペリエの場所を示す。僕がドイツ在住時に住んでいたのは地図右上角付近のミッテと書かれたあたりで、ザールラント州という場所である。勤務はザールラント州立大学病院だった。

そこからプロバンスやバルセロナには高速道路がまっすぐに南下していて旅行がしやすい。ただし遠いのでいつもリヨンのホテルに一泊していた。このあたりにはモーテルが多い。安くて設備も古く、お世辞にも快適とは言えないが、そこはフランス。朝食のバゲットだけは絶対に美味い。

モンペリエとバルセロナの間にあるペルピニャンという、ゆるキャラみたいな名前の街では「グレナッシュ」、スペイン語なら「ガルナッチ」という種類のぶどうから作られるワインが生産されている。僕の大のお気に入りだ。プロバンスでは他にロゼが有名である。

プロバンスの結婚式③

前回↓

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フラワーシャワーの祝福を受けて教会を出た新郎新婦は、参列者とともに新婦の実家へと向かうことになる。この地方では新婦サイドが結婚式の儀式一連を、取り仕切る習わしなのだ。新婦のお宅に着いてみると、もう庭にはガーデンパーティの準備万端が整っていた。

そして、そこでは既に、教会には来ていなかった、ご近所のメンバーが酒宴を始めていたのである。なんと牧歌的で愛おしい風景であろうか!

Share champagne

 

プロバンスにはマルセイユなどで作られる強いリキュール、パスティスがある。透明な蒸留酒なのに、水で割ると白濁するという興味深い酒だ。皆これをぐいぐいと飲んでいる。僕も一口頂いたが、アルコール度数が高いからではなく、その独特の風味(喩えて言えば、甘くないハーブキャンディか…)を受け付けられなかった。

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このパスティスによる酒宴は数時間続き、人が出たり入ったりする。しかし、皆がゆっくりと談笑できる素晴らしいチャンスを提供してくれるのだ。僕はこのとき初めて、新婦のご両親とゆっくりお話する機会を得た。もっとも、フランス語はできないので、新婦の通訳付きではあったが。

 

やがてひとしきり飲み、話し、笑い合った人々は三々五々帰宅していき、庭には、仲良し五人組と新婦のご両親だけが残った。

まさかこれで終わりではあるまい、そう思っていたら、びっくりするような提案がご両親から出された。それは・・・・。

プロバンスの結婚式②

 

↑前回

 

結婚式はまず、モンペリエの町役場で婚姻届を提出するところから始まった。ただ書類を出すだけではない。参列者が会議室で一堂に会し、皆が立会人となる。しかし、主たる立会人はなんと、町長夫妻であった。

 

町長は腰にフランス国旗を巻いて登場し、会議室の前方に座る。その面前で、新郎新婦と、証人である新郎の兄弟夫妻が書類にサインをするのだ。これが受理されると公式に夫婦となる。この儀式が必要なために、休日の結婚式というのはあり得ないのだ。この後に続く行事を考えても、このスタートは朝早くになる。

 

先に『参列者』と書いたが、ここには誰でも自由に参列できる。招待など要らない。この全員が町役場の前に出て、新郎新婦と一緒に記念撮影をする。もう誰が誰だか分からない。

 

ひとしきり撮影をした後、今度は次に大切な場所、教会へ向かう。役場から教会までは少し離れているのだが、車を使ったりはしない。参列者の子供が、新婦が着ているドレスの裾を持ち、皆で行列を作って行進する。

教会に到着すると、僕たちが想像するようなカトリックの結婚式が執り行われる。ただし、新郎がドイツ人、新婦がフランス人なので、それぞれの来賓を考慮して、儀式は両方の言葉を織り交ぜて行われた。夏の日差しが強いプロバンスで、ひんやりとした教会の空気、厳かな儀式の様子は今でも、肌が憶えている。

 

教会に入れる人数には限りがある。町役場に集まった多くの人たちは一旦引き上げたかに見えた。しかし、それは僕の思い違いだったのである。

 

プロバンスの結婚式はまだまだ続くのだ。

 

 

 

 

drmasa.hatenablog.com

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プロバンスの結婚式①

↑前回

 

ラベンダーの見頃を少し過ぎ、地中海での海水浴に向いていて、蝉時雨が聞こえていた、あれはそう、2001年7月下旬のことだった。

 

ドイツから車で二日がかり。途中リヨンで一泊しながらプロバンスへと南下していた。コートデュローヌのぶどう畑が眼前に広がるあたりから、ドイツでは聞こえない蝉の声が聞こえてくる。高速道路のサービスエリアにはオリーブの木が増えてくる。僕の目的地は友人達が結婚式を挙げるモンペリエという街だった。

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ホテルはモンペリエから程近い地中海沿岸のポートカマルグという自然保護区域の辺縁部に取っていた。

そこにはフラミンゴが自生し、湿地帯には他にも貴重な生物が棲息している。浅瀬では海水から塩の採取が行われ、隣町にはエグモルトという城塞都市が、中世当時そのままの状態で残っている。もちろん中には住民が今でも普通に生活しているのだ。城壁から見下ろした巨大な塩田や、車窓からみた野生のフラミンゴは今でも目に焼き付いている。 

Mating Ritual: James's Flamingo

 

翌日の結婚式は、とても朝が早かった。

日本では考えられない。しかも平日である。

一体どんな仕組みになっているのか、その時はまだ知るよしもなかった。